Daisuke Gemma
源馬 大輔
クリエイティブ・ディレクター
若くしてロンドンの名門セレクトショップ BROWNSでバイヤーを経験し、帰国後はクリエイティブ・ディレクターとして様々なブランドやショップを手掛けるなど、日本のファッション業界において独自の立ち位置を築いている源馬大輔氏。豊富な海外経験を持つ彼のもとには、国内のみならず、LANE CRAWFORDやJOYCEをはじめ、海外からの仕事の依頼も少なくない。そんなグローバルな視野を持つ源馬氏が、日本のファッションビジネスの現状や、JFWO(Japan Fashion Week Organization)コミッティという立場で、Mercedes-Benz Fashion Week TOKYOの今後の課題について、鋭い視点で語ってくれた。
現在のようなお仕事をするようになるまでの経緯を教えて下さい。
源馬:21歳の頃、ロンドンに留学したのですが、向こうで色々友人もできて、ある時期からBROWNSという会社によく出入りするようになったんです。BROWNSは日本人のお客さんが結構多かったこともあり、販売員をやってみたらどうか、という話が出て、英語も話せなかったのですが、とりあえず始めてみたんです。翌年、今でも付き合いがあるバーニー・トーマスというバイヤーの推薦で、海外のバイイングに連れて行ってもらい、そこからはバイイングの仕事をするようになりました。26歳で帰国してからは、WRという会社に入ってFamilyというセレクトショップを始めたり、Pred.P.R.というPR会社を立ち上げたりしました。今はsacaiや、香港の百貨店 LANE CRAWFORDなどと一緒に仕事をしています。
日本に戻って仕事をするようになってから、海外との違いを感じることはありましたか?
源馬:BROWNSがハイエンド向けのお店だったこともあり、高くても良いものであれば売れるという感覚が自分の中にはありました。でも、日本はロンドンと違ってハイエンドのマーケットが厳しい状況で、ほとんどが中間層のお客さん。しかも、サイクルがとても早いし、まずは洋服を雑誌に載せて売っていくという独特の図式もあって、帰国直後は結構ショックでしたね。そんな中でやっていける自信もなかったのですが、海外から戻ってきて日本の悪口を言うような人間にはなりたくなかった。もっと日本の文化を知って、とにかく自分らしいことをやっていこうと思ったんです。帰国後、Familyというセレクトショップをまず立ち上げたのですが、自分のことをわかってくれる家族のような人たちが来てくれたらいいなという思いをショップ名に込めました。
日本で仕事をしていく上で、どのような立ち位置でファッションに関わっていこうと考えていましたか?
源馬:僕の周りには素晴らしい才能を持った人たちがたくさんいて、彼らを見ていたからこそ、自分はデザイナーにはなれないというのはわかっていました。でも、そういうすごい人たちと一緒に仕事がしたかったので、自分はリンパ液のような存在になって、彼らが作ったものをきれいに流していくようなことをやりたいなと思ったんです。デザイナーが作ったものをより良く伝えていくために、ビジネス的な部分も含め、デザイン以外のすべてのクリエイティブを考えられる人間になりたいなと。
ショーの音楽からショップの内装、マーケティングまで幅広い分野でディレクションをご担当されていますが、そうしたノウハウはどのように覚えていったのですか?
源馬:まずベースにあるのは、そのブランドや洋服が好きだということです。sacaiの仕事もそうなのですが、とにかく好きだから、ノウハウはないけれどがんばって探りながらやっていくという感じです。一方で、香港のセレクトショップ JOYCEや、LANE CRAWFORDなどの仕事では、好きな日本のブランドやデザイナーを世界に向けてダイレクトに伝えていくことができるので、また違うやり甲斐がありますね。今、自分がこういう仕事をできているのは、BROWNSにいた時に、ビジネスの部分も含めシビアに学ぶことができたことが大きかったと思っています。






